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大阪地方裁判所 昭和51年(ワ)6325号 判決 1979年4月24日

原告

西野京造

ほか一名

被告

嘉根博正

ほか二名

主文

被告宋泳澤は、原告西野京造に対し二三八万七一六〇円およびこれに対する昭和五一年三月一六日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告西野美保に対し二五万九三二一円およびこれに対する前同日から支払済まで前同割合による金員をそれぞれ支払え。

原告らの被告宋泳澤に対するその余の請求および被告嘉根博正、同文改玉に対する請求をいずれも棄却する。

訴訟費用のうち、原告らと被告嘉根博正、同文改玉間に生じた分はすべて原告らの負担とし、原告らと被告宋泳澤間に生じた分はこれを一〇分し、その七を原告らの、その余を被告宋泳澤の各負担とする。

この判決は原告ら勝訴の部分にかぎり仮に執行することができる。

事実

第一当事者の主張

一  請求の趣旨

1  被告らは各自、原告西野京造に対し七〇七万一一〇七円およびこれに対する昭和五一年三月一六日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告西野美保に対し八四四万二二一三円およびこれに対する前同日から支払済まで前同割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五一年三月一六日午前一一時四〇分項

(二) 場所 藤井寺市西大井一丁目四六三番地三国道一七〇号線西大井交差点内(以下、本件事故現場といい、右交差点を本件交差点という。)

(三) 事故車 大型貨物自動車(登録番号泉一一や二八五〇号)

(四) 被害者 西野美津子(以下、美津子という。)

(五) 態様 美津子が本件交差点北側の横断歩道上を足踏自転車をおしながら西から東に向けて歩行横断中、本件交差点を西から北へ左折通過しようとしていた事故車に衝突、跳ねとばされた。

(六) 結果 美津子は、頭蓋底骨折等の傷害により、同日午後六時一五分死亡した。

2  責任原因

(一) 運行供用者責任(自賠法三条)

訴訟承継前の被告株式会社安井組(以下、安井組という。)および被告文、同宋らは、次のようにいずれも事故車を自己のために運行の用に供していた。

(1) 被告宋は、事故車を所有し、自己の業務に使用していた。

(2) 被告文は、土砂運搬業を営むものであるが、被告宋を事故車持込みの運転手として雇用したうえ、安井組から請負つた大阪府南部流域大井下水処理場建設工事に伴なう盛土用土砂の運搬作業に従事させ、もつて事故車をその業務のために使用していた。

(3) 安井組は、大阪府より右下水処理場建設工事を請負い、右工事に必要な盛土用土砂の運搬作業を全面的に被告文に下請けさせていたが、右工事現場に事務所を設置し現場監督を常駐させたうえ、被告文に雇用されていた被告宋ら作業員に対し、土砂の搬入コースや搬入場所を指示するなどその作業全般につき指揮、監督し、被告文の業務遂行を規制することにより、事故車の運行を支配し、その運行利益を亨受していた。

(二) 使用者責任(民法七一五条一項)

被告文は前記(一)(2)のとおり、被告宋を直接雇用し、安井組は前記(一)(3)のとおり、被告文の業務遂行を規制し、現場作業員を指揮、監督することにより、実質的に被告宋を雇用していたところ、被告宋は被告文、従つて安井組の業務の執行として事故車を運転中、後記過失により本件事故を発生させた。

(三) 一般不法行為責任(民法七〇九条)

被告宋は、前方不注視、一時停止懈怠および左折方法不適当の過失により本件事故を発生させた。

3  損害

(一) 美津子の損害

(1) 死亡による逸失利益 一九〇三万九三二〇円

死亡時の年齢 三八歳

職業 西野建設株式会社取締役

収入 一か月一八万円(役員報酬)

就労可能年数 二九年

生活費控除率 収入の五〇%

新ホフマン係数 一七・六二九

(計算式) (一八万×一二)×〇・三×一七・六二九=一九〇三万九三二〇

(2) 物損 七万四〇〇〇円

美津子所有の足踏自転車(二万五〇〇〇円)、事故当時着用していた衣類(二万六〇〇〇円)および時計(二万三〇〇〇円)の毀損による損害

(3) 相続

原告京造は美津子の夫、同美保はその子であり、美津子には原告らの他に相続人がいないから、原告らは美津子の死亡により、その法定相続分(原告京造三分の一、同美保三分の二)に従い同人の損害賠償請求権を相続により取得した。

(二) 原告ら固有の損害

(1) 慰藉料 各四〇〇万円

(2) 葬儀費用等 六〇万円

原告京造が支出した美津子の葬儀費用一一五万六九六五円、仏壇購入代四九万円および墓碑建立代五四万八〇〇〇円の合計二一九万四九六五円のうち、六〇万円は本件事故によつて生じた損害というべきである。

(3) 弁護士費用

原告京造 六〇万円

原告美保 七〇万円

4  損害の填補

原告らは、自賠責保険より一五〇〇万円の支払を受けたので、うち一五〇万円を美津子の母訴外矢田ミトエの慰藉料に充当し、うち四五〇万円を原告京造の、うち九〇〇万円を同美保の損害にそれぞれ充当した。

5  訴訟承継

安井組は、本訴係属中の昭和五二年一一月二四日破産宣告を受け、その権利義務一切を破産管財人嘉根博正が承継した。

6  結論

よつて、請求の趣旨記載のとおりの判決(ただし、遅延損害金は民法所定の年五分の割合による。)を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告嘉根)

1 請求原因1項の(一)ないし(四)および(六)は認める。同(五)のうち美津子が本件交差点北側の横断歩道上を足踏自転車をおして西から東に歩行横断していたとの点は否認し、同人が跳ねとばされたかどうかは不知、その余は認める。

2 同2項のうち、安井組が事故車を自己のため運行の用に供していたとの点および被告宋を雇用していたとの点はいずれも否認する。安井組は大阪府より大井下水処理場の建設工事に伴なう処理場周辺の修景(造園)工事を請負い、右工事のうち「設計書ならびに図面に基づく一切の土工事」を被告文に下請けさせていたものであつて、被告文は単に土砂運搬のみを下請けしていたわけではない。また被告宋は、被告文に雇用されていたのではなく、被告文より土砂運搬作業を請負つていたものである。なお、安井組が工事現場に事務所を設置し、その職員一名を現場代理人として常駐させ、工事の施行管理にあたらせていたことはあるが、土砂の搬入作業全般について指示を与えていたことはない。

3 同3項のうち、美津子の職業、年齢が原告ら主張のとおりであつたこと、原告京造、同美保が美津子の夫および子であり、美津子には原告ら以外に相続人がいないことは認めるが、その余は不知。

4 同4項のうち、原告らが自賠責保険より一五〇〇万円の支払いを受けたことは認める。

5 同5項は認める。

(被告文)

1 請求原因1項の(一)ないし(四)は認めるが、(五)、(六)は不知。

2 同2項のうち、被告宋が事故車を所有していたことは認め、その余は否認する。被告文は同宋に土砂運搬作業を請負わせていたものであるから、両者の法律関係は雇用ではなく請負である。

3 同3項は不知。

4 同4項のうち、原告らが自賠責保険より一五〇〇万円の支払いを受けたことは認め、その余は争う。

(被告宋)

1 請求原因1項の(一)ないし(四)は認め、(五)は否認し、(六)は不知。

2 同2項のうち、被告宋が事故車を所有していたことは認め、その余は争う。

3 同3項は不知。

4 同4項のうち、原告らが自賠責保険より一五〇〇万円の支払を受けたことは認め、その余は争う。

三  抗弁(被告文、同宋のみ主張)

自件事故については、次のように美津子にも重大な過失があつたから、損害賠償額の算定にあたり斟酌されるべきである。

1  本件事故の態様は、赤信号に従い本件交差点西詰の停止線付近で一時停止し、さらに青信号で発進し、本件交差点を西から北に向け左折通過しようとしていた事故車と、本件交差点を西から東に直進通過しようと事故車の後方から足踏自転車に乗つて接近してきた美津子が衝突したというものである。

2  ところで、被告宋は、本件交差点の左角に鉄板が置かれており、そのまま左にハンドルを切つても同交差点を曲り切れなかつたところから、一旦右にハンドルを切り事故車を少し右に寄せたうえで左折しようとしたところ、これを見た美津子は、事故車が直進するものと判断し、そのまま事故車の左側方を直進しようとしたため、本件事故が発生したものである。

3  しかしながら、被告宋は前記停止線付近で一時停止する直前に左折の合図を出していたから、その後方から接近してきた美津子は当然これを確認できたはずであり、美津子において、右合図を確認し、事故車の左折にそなえて進行しておれば、本件事故は避けられたというべきである。

4  従つて、美津子には、事故車の左折の合図を見落し、安易に事故車は直進するものと判断した点で過失があつたといわなければならない。

第三証拠 略

理由

一  事故の発生および美津子の死亡

請求原因1項の(一)ないし(四)は当事者間に争いがなく、いずれも成立に争いのない甲第二、第三号証、第五ないし第八号証、第一〇号証の一ないし六、第一一ないし第一五号証、第二〇ないし第二三号証、第二五号証、証人佐々木恵の証言、被告宋泳澤本人尋問の結果(ただし、後記措信しない部分を除く。)および弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められ、右認定に反する甲第一七号証、第一九号証の各記載部分および被告宋本人尋問の結果は右各証拠に照らしにわかに措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  本件事故現場はほぼ南北に通じる国道一七〇号線とほぼ東西に通じる道路(以下、東西道路という。)とが直角に交差する信号機の設置された交差点(本件交差点)内であり、本件交差点の東西南北にはいずれも横断歩道が設けられている。国道一七〇号線は、歩車道の区別のある直線、平坦なアスフアルト舗装道路で、車道部分の幅員は約一四メートルであり中央線によつて南北各行車線(各車線とも二車線に区分されている。)に分離されており、東西道路は、本件交差点の西側直近までは歩車道の区別のない幅員約六・四メートルの非舗装道路で、本件交差点の東側は歩車道の区別のあるアスフアルト舗装道路(ただし、歩道は南側のみに設けられている。)で、車道部分の幅員は約六・三メートルである。本件交差点の北西には、幅員約二・九メートルの南北歩道の西側の線および東西道路の北側の線に接して東西幅約五・六メートルの肉料理店の駐車場があり、その東西道路に接した部分の一部がその入口となつている。なお、本件交差点の北西角には交差点内から右駐車場に出入りする車両のため車道部分と歩道部分にまたがつて鉄板が置かれていた。また、本件交差点の西側直近の東西道路には、横断歩道の外側約四・九メートルのところ、前記駐車場の西側の線とほぼ一直線となるところに停止線が引かれ、さらに右停止線の西方約四・三メートルのところには道路左側端に直径約〇・七メートルのドラム罐が一個立てて置かれていた。

2  被告宋は、本件事故当時、事故車(八トン積ダンプカー、車体の長さ六・三〇メートル、幅二・四七メートル、高さ二・九〇メートル)を運転し、本件交差点の約三〇メートル手前を左折して東西道路に出たうえこれを東進し、本件交差点を西から北へ左折通過しようとしていたが、対面信号が赤色を表示していたため、左折の合図をするとともに交差点直近で約三〇秒間一時停止した。そして、信号が青色に変わると同時に発進したが、東西道路の幅員が前記のように約六・四メートルと狭かつたので一時停止の際には右、左折してくる対向車のことを考え事故車を道路左側一杯に寄せて停車していたこと、また本件交差点の北西角には前述のように車道部分から歩道部分にかけて鉄板が置かれていて左折の際の障害となつていたことから、一旦右にハンドルを切つて道路中央寄りに進行したのち左にハンドルを切りなおし、やや大まわりに左折した。ところが、事故車がほぼ交差点北側の横断歩道上付近まで進行した際、左後輪を何かに乗り上げたようなシヨツクを感じ、不審に思つて停車するとともに左サイドミラーで事故車の左後方を確認したところ、横断歩道上に自転車とともに転倒している美津子を発見した。なお、被告宋は本件交差点手前で一時停止中および青色信号に従つて発進する際、さらに右発進後左後輪にシヨツクを感じて停車するまでの間、一度も事故車の左側方および左後方の安全を確認することはしなかつたため、本件事故発生まで美津子には全く気付かないまま進行していた。

3  一方、美津子は本件事故当日、本件交差点の西方約五〇メートルのところをさらに南に入つたところにある自宅から本件交差点の東方にある大井派出所まで幼稚園に通つていた原告美保を迎えに行くため、自転車に乗つて本件交差点を西から東に直進通過しようとしていたところ、事故車の左側方を並進中、自転車の右ペタル付近を左折体勢に入つた事故車の左前輪に接触され、そのまま左側に押倒されたうえ事故車の左後輪で轢過され、頭蓋底骨折等の傷害を負い、同日死亡した(ただし、美津子が右傷害を負い、本件事故当日死亡したことは、原告らと被告嘉根間に争いがない。)。

ところで、本件全証拠によつても事故車と並進し、これと接触する以前の美津子の進行状況は必ずしも明らかではない。

右の点について、被告文、同宋は、<イ>被告宋は、東西道路に進入してから本件交差点に到達するまで事故車の前方を進行する自転車を一台も認めなかつたし、そのような自転車を追抜いたこともなかつた、<ロ>同被告は、本件交差点手前の停止線付近に、しかも道路左側(北側)一杯に寄せて事故車を停車させたところ、同所には前記のような位置にドラム罐が置かれていたから、事故車の後方から接近してきた軽車両は、右ドラム罐が障害となつて事故車の左側方にまで進行することはできない状況にあつた、<ハ>美津子が仮に事故車の左後方に同じく一時停止後、事故車と同時に発進したとすると、事故車および美津子の進行速度からして両者が本件事故現場で衝突することはありえない、としてこれら三点を根拠に、美津子は事故車の後方から接近してきて一時停止しないまま左折しようとしていた事故車に追いつき、当然確認しえた事故車の左折の合図を見落しその左側方を通過しようとしてこれと接触するに至つたものであると主張し、被告宋の司法警察員に対する供述調書(甲第二一、第二二号証)中にはこれに沿う供述記載部分が存在するほか、同被告はその本人尋問の際同旨の供述をしている。しかしながら、被告宋が本件交差点手前で一時停止後本件事故の発生に気付くまで一度も事故車の左側方および左後方の安全を確認しなかつたことは既に認定したとおりであり、前掲甲第一〇号証の四、五によると事故車の左側方にはかなり広範囲の死角が存在することが認められるから、美津子が事故車の左側方を並進していた(前記認定のように、被告宋は本件交差点手前約三〇メートルのところを左折して東西道路に出たのち、本件交差点手前で一時停止しているのであるから、その間の平均進行速度はかなりゆつくりしたものであつたと推測され、美津子がその間事故車の左側方を進行し、事故車とほぼ同時頃本件交差点に到達したということも充分ありうることである。)とすると、被告宋がこれに気付かないまま本件交差点まで進行したということも充分考えられるから、前記<イ>の点のみをもつて直ちに事故車の左側方に軽車両が存在しなかつたとも断定することはできず、また<ロ>についても前掲甲第二三号証によると本件交差点西側直近の停止線は本件事故当時消えていて自動車の運転手からは良く見えない状態であつたことが認められるうえ、前掲甲第一五号証、第二〇号証によると、本件事故の直前に国道一七〇号線を北進してきて本件交差点内を通過し、交差点北西角に置かれていた前記鉄板上を通つて肉料理店の駐車場まで乗用車を運転してきた畑野ヒサエは、実況見分の際および刑事事件の証人として証言した際、いずれも被告宋は右停止線よりかなり前方(東方)に事故車を停車させていた旨指示説明、証言していることが認められるから、これらよりすれば、事故車の左後部と前記ドラム罐との間にはかなりの間隙が存在していたとも考えられ、従つて事故車の後方より進行してきた軽車両が右間隙を通つて事故車の左側方まで進行していた可能性も否定できないところである。そうすると、被告文、同宋らの前記主張は、必ずしも確たる証拠に基づくものともいえず、一応の可能性を示すにすぎないものといわなければならない。のみならず、既に述べたところに基づき、前記被告文らの主張<ハ>のような観点から考えれば、むしろ、美津子は、どのように進行してきたかはともかく、事故発生の直前には、事故車のすぐ左側に足踏自転車を止めて一緒に信号待ちをしていたものとみるのが妥当であるともいえるのであり、さらに、前掲甲第二一号証によれば、事故車の左折のウインカーは、点滅式で左前部地上一・五メートルのところにあるが、その車体の左側ぎりぎりのところにいるものには見えないことが認められるのであつて、美津子は、そのような位置にいたため事故車の左折のウインカーの点滅に気付かないまま、右甲第二一号証において被告宋が供述しているように、事故車が発進と同時に右に寄つたところからそれは右折するものと考え、安心して東に進行したとき、事故車が左折したので、不意を衝かれてこれを避けることができなかつたものであるということも、十分考えられるところである。

二  責任原因

1  被告宋の責任

前掲甲第二号証、第五号証、第二一号証、第二三号証、被告文、同宋各本人尋問の結果および弁論の全趣旨を総合すると、被告宋は事故車を所有し、これを使用して土砂等の運搬業を営んでいたことが認められるから、同被告は事故車を自己のために運行の用に供していたことが明らかであり、また前記一で認定した本件事故の状況からすれば、被告宋には事故車の左側方の安全を確認しないまま左折進行した過失があり、本件事故は同被告の右過失によつて生じたものというべきであるから、被告宋には自賠法三条により後記三の1の(一)および2の(一)、(二)記載の、民法七〇九条により同1の(二)記載の各損害を賠償すべき責任がある。

2  被告文および安井組の責任

成立に争いのない乙第一ないし第三号証、証人安井将浩の証言およびこれによつて真正に成立したものと認める乙第四ないし第七号証、被告文、同宋各本人尋問の結果およびこれらによつて真正に成立したものと認める丙第一ないし第三号証ならびに弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  安井組は、土木建築工事の請負を業とする従業員約三〇名の株式会社であるが、自らは主として工事の設計と施行管理のみを行ない、実際の工事は全て下請業者に担当させるのが常であつた。昭和五一年二月二三日安井組は大阪府より大井下水処理場の修景工事、すなわち盛土工事、外周石積工事および植栽工事を請負つたが、この時も、盛土工事を被告文に、外周石積工事を関西石材に、植栽工事を竹中庭園にそれぞれ下請させ、自らは右工事の設計と施行管理のみを担当していた。なお、右工事のため、安井組は工事現場に事務所を設置し、現場代理人一名を常駐させて工事全般の管理、監督にあたらせていた外、他に従業員を派遣することはなかつた。

(二)  被告文は、昭和五〇年一〇月頃から、文野興業の名称で土木工事、主として土砂運搬等の請負を業としていたものであり、その最初の仕事として、安井組より右下水処理場の盛土工事、すなわち土砂採取場から工事現場まで指定された品質の土砂を運搬し、これを盛つて一定の高さに整地する作業を請負つたが、従業員はわずか一名であつたため、土砂搬入作業については、右従業員に被告文所有のダンプカーを運転させてこれにあたらせていた外、そのほとんどを約一七、八名の土砂運搬業者(被告宋と同様ダンプカー一台を所有し、自らこれを運転して土砂等の運搬作業を行なう者)に下請させ、被告文自身は工事現場でブルドーザーを運転し、運ばれてきた土砂を用いての整地作業を担当していた。

(三)  ところで、被告文の下で土砂運搬作業に従事していたこれら下請業者は、特定の者に固定されていたわけではなく、工事期間中何度かその顔ぶれが変わることもあり、被告文との間に特別の専属関係を有する者もいなかつた。またこれら下請業者との間では、報酬(運賃)は土砂の一回あたりの搬入量および搬入回数によつて一率に決定され、作業拘束時間や一日の最低運搬量の定めもなかつたため、下請業者としてはその都合に応じて任意の時間に任意の回数土砂を運搬すれば良く、しかも当時土砂採取現場は三か所に分かれていたが、そのいずれから土砂を搬入するかもこれら業者に任せられていた。そして、被告文は土砂の搬入回数と搬入量を点検する以外は、特にこれら下請業者の作業内容について指示、命令をしたり、監督したりすることもなかつた。

なお、安井組の現場代理人も、土砂の搬入量と整地状況を監視する以外、これら下請業者の作業につき個別、具体的な指示、命令をすることは一切なかつた。

(四)  一方、被告宋は、もと国分運輸に自動車運転手として雇用されていたが、本件事故の約一二年前から、自分で車を購入して太田商店の名称で土砂等の運搬業を始め、以来国分運輸の専属的下請として砕石等の運搬作業に従事していたところ、本件事故当時国分運輸関係の仕事が暇となつたことから、被告文より前記土砂運搬作業を下請し、昭和五一年二月二六日から右作業に従事するようになつたものであり、本件事故は、右下請の作業として前記の工事現場に土砂を降ろし、土砂採取場に引き返す途中に惹起したものであつた。

なお、被告宋が被告文の下請として土砂運搬作業に従事したのは今回が最初であつた。

以上認定の事実からすれば、被告文と被告宋とは土砂運搬作業に関する請負契約の当事者であり、その間に雇用契約関係ないしこれと同視しうる支配従属関係の存在を認めることはできず、従つて安井組と被告宋との間にも支配従属関係を認めることはできないし、また、安井組ないし被告文が直接間接に被告宋に対して土砂運搬作業の指揮監督をしていたということもできないから、安井組ないし被告文が事故車につき運行利益および運行支配を有していたともいい難く、結局右両名には、本件事故につき自賠法三条および民法七〇九条、七一五条一項の各損害賠償責任のいずれをも問うことはできないというべきである。

そうすると、原告らの被告嘉根、同文に対する本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないものといわなければならない。

三  損害

1  美津子の損害

(一)  逸失利益 一一九九万一四四九円

前掲甲第一一号証、成立に争いのない甲第二七号証、原告京造本人尋問の結果およびこれにより真正に成立したものと認める甲第二八号証の一ないし三、第二九号証の一、二並びに弁論の全趣旨を総合すると、美津子は、本件事故当時満三八歳で、西野建設株式会社(以下、西野建設という。)の非常勤取締役として昭和五一年三月分まで月額一八万円の役員報酬の支給を受けていたこと、西野建設は、木材販売等を目的とする資本金四〇〇万円(当初一三〇万円であつたがその後増資された。)の会社で、本件事故当時美津子の他その姉および原告京造の弟が取締役および監査役に就任していたが、いずれも名目上の役員にすぎず、その実質は代表取締役である原告京造の個人会社であつたこと、会社の経営一切は原告京造が担当し、美津子は、家庭の主婦として日常家事労働に従事するかたわら、週に二、三度会社に出勤して簡単な事務をしていたほか、当時二名いた原告京造の自宅住込の従業員のため炊事、洗濯等の世話をする程度であつたこと、西野建設においては、当時、美津子以外の役員に対しては、役員報酬は一切支給されていなかつたこと、もつとも、原告京造に対して支給されていなかつたのは、同人が当時他にも企業を経営していて、そこからの収入があつたためで、美津子の死後の昭和五一年四月以降は、美津子に代つてその支給を受けていること、西野建設では、本件事故後、女子職員を一名採用し、美津子が担当していた会社の事務や住込従業員の世話を担当させているが、同職員に対しては給料として毎月七万円を支払つていること、が認められる。右認定の事実によれば、美津子に支払われていた前記一八万円のうち、その大部分は原告京造が便宜自己の報酬を美津子名義で受領していたものであり、美津子の収入というよりは、むしろ原告京造の収入と評価されるべきものと考えられるから、これを根拠として同女の死亡による逸失利益を算定するのは適当でなく、結局同女の逸失利益は、家事労働に従事するかたわら、西野建設の事務等処理に従事することにより、女子雇傭労働者の平均的賃金に相当する財産上の収益を挙げていたものとして算出するのが妥当である。そうすると、美津子は、本件事故当時毎年少なくとも一三六万〇四〇〇円(昭和五一年度賃金センサス第一巻第一表年齢別女子労働者の平均賃金)程度の財産的利益を得ていたというべきであり、同女の就労可能年数は二九年と考えられるから、その生活費を収入の五割として、同女の逸失利益をホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると一一九九万一四四九円となる。

計算式(九万二六〇〇×一二+二四万九二〇〇)×(一-〇・五)×一七・六二九三=一一九九万一四四九

(二)  物損 二万五〇〇〇円

前掲甲第七号証、原告京造本人尋問の結果およびこれにより真正に成立したものと認める甲第三一号証によれば、本件事故により、美津子が乗つていた婦人用ミニサイクル自転車は大破し、廃車せざるを得なくなつたこと、右自転車は、昭和五一年二月二五日美津子が三万六〇〇〇円で購入したものであつたことが認められる。右の事実に弁論の全趣旨および経験則を総合すると、右自転車は本件事故当時少なくとも二万五〇〇〇円の価値を有していたものと評価されるから、美津子は右自転車の毀損により二万五〇〇〇円の損害を被つたものというべきである。

なお、原告らは、本件事故当時美津子が着用していた衣服および腕時計の毀損による損害として合計四万九〇〇〇円の支払いを請求しているが、本件事故当時におけるこれらの価値を確定するに足りる証拠は何ら存在しないから、結局右毀損によつて生じた損害額をも確定することはできない。

(三)  相続

成立に争いのない甲第二六号証の一によると、原告京造は美津子の夫、同美保はその子であり、美津子には他に相続人がいないことが認められるから、原告らは、美津子の死亡によりその法定相続分に従い、原告京造は美津子の損害賠償請求権の三分の一を、原告美保はその三分の二を、それぞれ相続したことが明らかである。

2  原告ら固有の損害

(一)  慰藉料 各四〇〇万円

本件事故の態様、美津子の年齢および原告らの家族状況等諸般の事情を総合考慮すると、美津子の死亡による原告らの慰藉料は各四〇〇万円が相当と認められる。

(二)  葬儀費用等 四五万円

原告本人尋問の結果およびこれによつて真正に成立したものと認める甲第三〇号証の一ないし三、第三二号証、第三三号証の一、二を総合すると、原告京造は美津子の葬儀費用として一一五万六九六五円、仏壇購入代として四九万円、墓碑建立代として五四万八〇〇〇円、以上合計二一九万四九六五円を支払つたことが認められるところ、美津子の年齢、社会的地位等を考慮すると、そのうち四五万円は本件事故と相当因果関係のある損害と認めるべきである。

3  原告らの損害額

そうすると、原告京造の損害額は、前記1の(一)、(二)の三分の一に前記2の(一)、(二)を加えた八四五万五四八三円、同美保の損害額は前記1の(一)、(二)の三分の二に前記2の(一)を加えた一二〇一万〇九六六円となる。

四  過失相殺

本件事故直前の美津子の進行状況は、前記のように証拠上必ずしも明らかではないが、前記一で認定した本件事故の状況によれば、少なくとも美津子にも事故車の動静を注意しないまま進行した点で若干の過失があつたものと推認せざるを得ないのであつて、前記認定の被告宋の過失の態様等諸般の事情を考慮すると、過失相殺として原告らの損害の一割五分を減ずるのが相当と認められる。

五  損害の填補

原告らが、自賠責保険より一五〇〇万円の支払を受けたことは当事者間に争いがなく、そのうち四五〇万円を原告京造の、うち九〇〇万円を原告美保の各損害に充当したことは原告らの自認するところである。なお、原告らは残余の一五〇万円については美津子の母訴外矢田ミトヱの固有の慰藉料請求権に充当した旨主張するが、自賠責保険金は事故の被害者(本件でいえば美津子)の損害、被害者が死亡している場合にはその相続人の損害を填補するために支払われるのが通常であるから、右一五〇万円が原告ら主張の趣旨で支払われたことにつき主張立証のない本件においては、右金額についても、原告らの相続割合に従いその三分の一は原告京造の、その三分の二は原告美保の各損害を填補したものというべきである。

そうすると、原告らの前記損害額から右填補分を差引くと、残損害額は原告京造が二一八万七一六〇円、同美保が二〇万九三二一円となる。

六  弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告らが被告宋に対し、本件事故による損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は、原告京造が二〇万円、同美保が五万円とするのが相当である。

七  結論

よつて、被告宋は原告京造に対し二三八万七一六〇円およびこれに対する本件不法行為の日である昭和五一年三月一六日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、原告美保に対し二五万九三二一円およびこれに対する前同日から支払済まで前同割合による遅延損害金をそれぞれ支払う義務があり、原告らの本訴請求は右の限度で正当であるからこれを認容し、その余の被告宋に対する請求および被告嘉根、同文に対する各請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 富澤達 大田朝章 窪田もとむ)

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